5月4日政府の緊急事態宣言の対象期間延長が決定。1日の専門家会議では、「全国で1カ月の延長が必要」との意見で統一されたといいます。
日本で1人目の新型コロナウイルス患者が数えられたのは、1月15日。それから2週間の動きは、新型コロナウイルス感染症対策本部の議事録にもあります。→ 第1回(令和2年1月30日開催)資料

そこからすでに3カ月半。4月7日に緊急事態宣言を発出してからは1カ月となる。私たちは何を見聞きしたのか?今ここで確かめておくことにします。

光が差しているならいい。もう少しがんばれば打開策が見えるなら、がんばりようがあります。しかし、肝心の首相からは具体的な数字や戦略は納得のいく形では示されず、あいまいでふんわりした要請のみ。
足元の治安は目に見えて悪くなっています。悲観し、自殺してしまった店主もいます。
そもそも安倍晋三首相は「2週間後には感染者の増加をピークアウトさせ、減少に転じさせる」という目標を掲げたのではなかったか? その戦略はどこまで有効性があったのか?
それ以前に、対策本部とは何なのか?その疑問に、触れないわけにはいきません。

責任の所在はどこに? あいまいな政権のあいまいな組織

いくつかの資料を照合しつつ、別途リンク集も掲載します。
5月4日の流れや答弁を見るだけでも、現政権の問題のありかがはっきりするのではないでしょうか。

宣言前の14時。衆院議院運営委員会が開会。説明のために登場したのは、西村康稔経済再生相でした。

医療提供態勢へのさらなる負荷を避けるためにも、引き続き感染拡大の防止に取り組み、新規感染者数をさらに減少させる必要がある

●15時。参院議運委での質疑が始まり、ここでも西村氏が説明を行います。
立憲民主党の石橋通宏氏が「これだけ重要な事案になぜ安倍首相自ら説明しないのか」とただしたところ、西村氏は「私は新型インフルエンザ特措法の執行の責任者だ」と答えています。
途中、大阪の吉村洋文知事より段階的解除を行う旨を認めるかとの質問があり、西村氏は「都道府県ごとに状況が異なるので、それぞれ知事が適切に判断できるように全力でサポートをしていきたい」と理解を示します。

●17:05
いっぽう、新型インフルエンザ対策本部長を務める安倍晋三首相は、対策本部で専門家らの意見を踏まえ、次のように述べました。

本日開催されました専門家会議において、これまでの感染状況を分析すると同時に、感染状況に対する分析と今後に向けた提言をいただきました。  まず、我が国は諸外国のような爆発的な感染拡大には至っておらず、全国の実効再生産数も1を下回るなど、一定の成果が表れ始めているものの、現時点ではいまだかなりの数の新規感染者数を認め、感染者の減少も十分なレベルとは言えない。引き続き、医療提供体制が逼迫(ひっぱく)している地域も見られることから、当面現在の取り組みを継続する必要がある、というのが専門家の皆さまの見解であります。

結局、この日は特措法執行責任者として西村康稔経済再生相が、対策本部長として安倍首相が説明を行いました。

新型コロナウィルスは健康被害か、戦争か、災害か?

写真はイメージです(photoBさん 写真ACから)

●健康被害か?
新型コロナウイルスが発生し、クルーズ船の対応に苦慮する日本で、主に国民に説明していたのは加藤勝信厚生労働省大臣でした。その横で、安倍首相は新型コロナウイルスについて「健康被害」と述べていました。健康被害がテーマであれば厚労省の担当となるでしょう。序盤では、加藤厚労相の顔が何度もテレビ画面に映し出されました。

●戦争か?
当時傍観者のように日本の対応を非難していた欧米諸国も、やがて新型コロナウイルス感染者を迎えざるをえなくなります。
「これはウイルスとの闘いだ」と覚悟を決め、次々と戦略を打つ各国首相や大統領。
台湾をはじめ、迅速に対応した例もあります。各国で、人類対COVID19の戦いにリーダーが毅然と立ち向かいます。

●災害か?
また、立憲民主党の枝野幸男代表は衆院予算委員会で、新型コロナウイルスの対応に災害救助法の「災害」を適用すべきだと訴えている。
朝日新聞 2020年4月28日より

本立憲民主党の枝野幸男代表は衆院予算委員会で、「新型コロナウイルス感染症の拡大と拡大を防ぐための社会経済活動の停滞」について、災害救助法の「災害」を適用すべきだと訴えた。「災害救助法を使えば、いま仕事を失い、生活の拠点を失っている人たちに、住まいも、食料も、生活必需品も供給することができる」と主張した。  新型コロナ担当の西村康稔経済再生相は「(内閣)法制局と早速相談したが、災害救助法の災害と読むのは難しいという判断だ」と説明。「地方創生臨時交付金で各都道府県知事がそれぞれの地域の事情において対応できる」と現行の施策で対応できるとの認識を示した。

これは東日本大震災で原発事故が起きた当時前線で奔走した枝野氏の実感から出た提言であったかもしれません。西村氏は「現行の施策で対応できる」と答えましたが、果たしてどうか。

一般人の目から見ても、新型コロナの蔓延を単なる感染症と片付けることはできません。これだけ世界を揺るがすようなパンデミックです。健康被害を扱う厚労省だけで対応できないのは誰の目にも明らかです。
また、確かに戦いではあるが、国と国の戦争ではありません。

そう考えれば、新型コロナウイルス感染症対策は、災害という国家的危機として捉えることが妥当なのです。

対策本部や専門家会議だけで乗り切れるのか?

これまでの動きを見ても、場当たり的に対応してきた、その限界が露呈しています。
当初加藤厚労相が頻繁に会見を行なっていましたが、そのあとは、新型インフルエンザ対策本部長を兼ねる安倍首相新型インフルエンザ特措法の執行責任者である西村康稔経済再生相、加えて新型コロナウイルス感染症対策専門家会議の尾身茂副座長……と入れ替わり立ち代わりの会見。
緊急事態宣言延長の説明にしても、いったいどれほどの国民が万感込めてうなずき、納得できたでしょうか。

国民に対する説明はやはり毎回、一国のリーダーが行って、統一見解を述べるほうがいい。一貫した姿勢を示し、その内容に応じて都度、専門家や大臣が横に控えていればいいわけです。

もちろん、安倍首相は専門家ではないのだから専門家会議の意見を仰げばいいし、仰ぐべきでしょう。未知のウイルスなのだから、わからないことはわからないと言えばいいし、不可能なことは不可能だと言えばいい。

実際、大阪府の吉村知事は、東京都のような財源はないことを示し、府民の共感を得ました。
良心と熱意をもって懸命に事にあたる人を、労いこそすれ、いつまでも責め続ける人はいません。それなのになぜ、政府の場合は「延長しても不満、解除しても不満」となるのでしょう。

国民はただ、一人の覚悟あるリーダーから自分の言葉で発する説明や宣言を聞きたいのです。周囲のサポートはもちろんあっていいし、あるべきでしょうが、少なくとも国民に寄り添う一人の人間としての誠意を見たいはずです。

しかし、新型コロナウイルスという未知の相手に対して、生温い水際対策のツケが回った、その責任の所在さえ今も見えません。
専門家会議は感染症の専門家の集まりであるかもしれませんが、経済のプロでも、法律のプロでも、ましてや危機対応のプロでもありません。

ここで一つの疑問がわいてきます。日々何度となく耳にする「対策本部」「専門家会議」「諮問委員会」。これらはどこまで機能しているのでしょうか。

組織は目的に合ったメンバーで、互いに有機的に機能しているか?

ここで、それぞれの目的や役割を確かめておきたいと思います。

対策本部はどのような目的で、どのようなメンバーで成り立っているのか?
対策本部の資料によれば、その目的は「中華人民共和国で感染が拡大している新型コロナウイルス感染症について、 感染が拡大している現下の状況に鑑み、政府としての対策を総合的かつ強力 に推進するため」とあり、構成員は次のようになっています。

新型対策本部本部長 内閣総理大臣
副本部長 内閣官房長官、厚生労働大臣、新型インフルエンザ等対策特別措置法に関する事務を担当する国務大臣
本 部 員 本部長及び副本部長以外の全ての国務大臣


また、専門家会議と諮問委員会の構成は次のようになっています。
専門家会議の構成員
その目的は「新型コロナウイルス感染症対策本部の下、新型コロナウイルス感染症の対策につ いて医学的な見地から助言等を行うため」とあります。

基本的対処方針等諮問委員会の構成員(第1回)
新型インフルエンザ等対策有識者会議の下部組織。
新型インフルエンザ対策特別措置法が2012年に成立したのを受けて設置された。政府が新型コロナウイルスなどの感染拡大を抑える「緊急事態宣言」を発令する際に諮問を受け、妥当かどうか見解を示す。対象地域の追加や期間を延長する場合にも意見を出す。日本経済新聞2020/4/16より)
根拠

専門家会議も諮問委員会も大半は感染症の専門家と少数の法律の専門家により構成されています。経済の専門家や危機管理の専門家は不在で、総合的な専門知が結集されたとは言い難い状況です。

「新型コロナウイルス感染症対策専門家会議」の意見を参考に政府が方針案を作る
→「基本的対処方針等諮問委員会」に諮問する
→諮問委員会が提言する
→提言を受けて、対策本部が決定する。

この流れで行けば、対策本部長が最高責任者であると言えます。
専門家会議と諮問委員会のメンバーは一部重複しています。これでは専門家も疲弊するし、組織の透明性も保たれにくくなります。

作った人たちが、自分たちで諮問して、自分たちで決定するに等しい。

しかも専門家やクラスター班による説明が政府とは別に行われるため、国民にして見ればどっちつかずで不安が残ります。
緊急事態宣言発出前も、専門家会議や、さらには日本医師会も危機的状況を訴えましたが、それでも「ギリギリ持ちこたえている」と言い切る安倍首相に国民は苛立ちをつのらせました。

司令塔がはっきりしない情報発信は、本来リスクコミュニケーションのあり方としてはあり得ないことで、国民との溝を深めるだけです。
後ろ向きだった一律給付についても、現政権の支持率が低下した後、一転して全国範囲での緊急事態宣言の発出とともに行われました。
このように見ていくと、1月15日以来ずっと国民の顔色をうかがって場当たり的な対応を取ってきたとしか考えられません。

危機対応のための専門省庁がない災害大国日本

そもそも、日本は危機対応の専門部署を持ちません。このことは、2019年10月に石破茂元幹事長が提言していました。
かなり長くなるが引用します。
(以下 FNN PRIME 2019/10/19より)

全国知事会から防災省をつくるべきだという提案が出ているが、政府としては(この提案を)とらないという姿勢だ

会合で石破氏は、持論である「防災省」に消極的な政府に対し、不満をにじませた。
では、なぜ石破氏は、「防災省」が必要だと主張するのか。「全国47都道府県1718町村ある中で、正直、災害対応は自治体により、ものすごくばらつきがある。非常に意識が高く職員も精通しているところは、機敏に的確に対応できる。それに対し、色々な理由でそうでもないところは甚大な被害が発生する。地域でばらつきがあって本当に良いのか」
石破氏は、地方自治体ごとに差がある対応能力を向上させるためにも、防災省を新設すべきだというのだ。

現在、日本で災害が起きた場合、政府の中で災害対応の中心となって担当するのは、内閣府の防災担当チームであり、防災対応全般を専門とする省庁は存在しない。
石破氏は、この日の会合で、現状には3つの問題点があると主張した。

1つ目は、“内閣府・防災担当の人数”についてだ。
石破氏は、「百数十人の体制で、本当にこの今の日本の状況に対応できるかと言えば、なかなか難しいのではないか」と指摘した。

12つ目は、“防災への準備”についてだ。
石破氏は、「これだけ災害が続くと、その対応に精一杯で、(防災の)企画立案をどうやるのか」と疑念を示した。

13つ目は、今後の災害対応につなげるための“災害事例の共有・伝承”についてだ。 「災害のたびに、良い事例、良くなかった事例など報告されるが、それが本当に共有・伝承されているのか。(内閣府は)いろんな省庁から人がやってきて、2、3年したら戻り、また新しい人がやってくる。そのシステムが本当に良いのか」
国土交通省や経済産業省など各省庁から内閣府の防災担当に職員が出向しても、数年で人が入れ替わるので、災害対応の引き継ぎなどが十分に行われるのかと石破氏は疑問を投げかけた。
そして、こうした理由から、災害対応を専門的に扱う防災省を新設すべきだというのだ。


近年日本でも多くの災害が各地で広範囲に起きていますが、今回のように全国が同時に危機に見舞われることはありませんでした。
北海道、東北、西日本、九州、東京、千葉……と限定的な発生だったために、被災していない地域の国民がボランティアすることもできました。ボランティア頼みは限界と言われつつも、何度も相互支援により辛うじて乗り切ってきました。それでも、被災地の立場からはまだ十分な支援とは言えなかったかもしれませんが、全国的に不満が噴出するというようなことには至りませんでした。

日本が広域災害に幾度も見舞われ、現場で奔走する知事たちによる全国知事会から「防災省をつくるべきだ」と行われた提案はこの時、見送られていました。

防災省の創設については、2020年1月17日、阪神大震災から四半世紀を迎えたその日、人と防災未来センター長 河田惠昭氏(京都大学名誉教授)も県をまたぐ広域災害について提唱しています。
時事ドットコムニュース 2020/1/17より)

阪神大震災の教訓を伝える「人と防災未来センター」(神戸市)の河田恵昭センター長は「日本の災害対応は後手後手で不十分」と指摘し、大規模災害発生時の対応や防災対策の総合的な司令塔となる「防災省」の創設を提言する。
 国内では南海トラフ地震の発生が予測されるなど、大規模災害への備えは待ったなし。だが、現行の災害対策基本法について、河田さんは「被害が発生しない限り対策が取れない上、原形復旧する考え方。地球温暖化で風水害の威力が大きくなっているのに、また被害を受けることになる」と問題点を指摘。「改良復旧する考え方に改めないといけない」と早期の抜本改正を求める。


災害が起きるたびに人は思います。「もっと早くこうしていれば」と。

阪神大震災以降、日本は何度も局面を乗り越えてきたかに見えるかもしれませんが、実体としての経済は疲弊し、相互支援したくても地方自治体には余力がありません。国はどうかと問えば、今回のように「出し渋り」を目の当たりにします。

災害のたびに巨額の予算を組んで復旧する国力がなければ、平時から備えて「受ける被害を少しでも小さくする」ことしか道はありません。
組閣されるたびにメンバーが入れ替わる内閣府が対策本部では、任期が終われば解放されるわけで、責任の所在が不明瞭になってくるのも当然です。

新型コロナ対策で迅速な対応を見せた台湾政府の優秀さはつとに知られていますが、メンバーは各分野から選りすぐったプロフェッショナルだといいます。
専門分野を持たない政治家の寄り合いとは訳が違う。

防災省か、危機管理省か。内閣府下か独立組織か。

危機管理には、実は2つあります。
リスクマネジメントとクライシスマネジメント。
前者が「起きる可能性がある危機(リスク)」に対応するのに対し、後者は「発生した危機(クライシス)に対応し、収束させます。

つまり、危機が発生してから対策を取るのではなく、平時から危機を想定した訓練や整備を行うわけです。危機が起きる前と後、365日対策が必要だというのが、危機管理の考えかたです。

●リスクマネジメント
潜在的危機(リスク)を軽減するための準備(計画・訓練・備蓄)を行う。
●クライシスマネジメント
顕在化した危機(クライシス)に対応し、拡大を防ぎ、早期に収束させる。

今回、マスクや医療ガウンなどの備蓄が現実的なニーズに応えられていないのを見ると、日本におけるリスクマネジメントはとうに破綻していたことがわかります。

事前の防災と事後の対応・復興。
この二つの危機に備えるのが「危機管理」の考え方です。
また、自然災害だけでなく、今回のような新興感染症による危機も想定すれば、「防災省」より「危機管理省」のほうが適切かもしれません。
「省」として内閣府下に置くのか、それとも独立した組織として別の呼び方にするのか、法的な枠組みがどうなるかなども、当然論議が必要になるでしょう。

今回の新型コロナウイルスに対応する組織としては間に合わないでしょうが、これからさらに大きな脅威が訪れる可能性を否定できない日本にとって、危機対応のための組織は検討に値すると考えられます。

危機対応のための組織を作れば、危機に備えた抜本的な提案もできるでしょうう。たとえば、今問題になっている地方自治体による対応の差も基本的な雛形を作ることで解決できます。

日本における災害は種類や地域もまちまちで、そのたびごとに違います。
しかし基本的には、リーダーのもと「調整、情報、資源、財務」と4つの基本的な部門があればいい。
ICS(Incident Command System/インシデント・コマンド・システム)という「現場指揮システム」というものがあるが、それに近いものにすれいいのです。

どの自治体でも共通する仕組みにしておけば、いざ災害が起きたときに、被災していない地域が被災した地域を支援する際にも話が早く、スムーズに事が運ぶ。

人と知恵を融通試合、地方のレジリアンスを向上させることができます。

危機を力に体験をバネにレジリアンス国家としての再生を

写真はイメージです(rinne_yuyuさん写真ACから)

今仮に新型コロナウイルスがいったん治ったとして、第二波、第三波はやってくるでしょう。ワクチンができ、人々が抗体を持ち、インフルエンザの一種のような位置づけになるには、まだまだ時間がかかります。抗体がどの程度の期間有効か、新型コロナのどのような後遺症があるかも、未知の段階です。
登山で言えば、2合目、3合目あたりでしょう。

加えて、複合災害の懸念もあります。
新型コロナ感染症の複合災害化に備える〜いま想定すべき“最悪の事態”とは

今地震が起きたら? 来週ゲリラ豪雨に見舞われたら? 恐怖を煽るわけではなく、最大限の警戒をしておく必要がある国に私たちは生きています。その事実を知り、備える先にこそ未来があります。

温暖化が進み、自然災害の脅威もより強大になっていくでしょう。
先進国の中でも地震や台風など多くの災害を体験した日本は、これまでむしろなんでもなかったことのように演出し続けてきました。
原発事故の影響はいまだ続くが、東京オリンピック誘致でも「コントロールできている」と言ってのけました。

新型コロナウイルス対策が有効に機能しているとは見えにくい今、残念ながら日本は本当に生温い国だと実感せざるをえません。見たことのない、体験したことのない危機に対して、迅速な方策を打ち出せる国になってはいないのです。
もちろん、ほとんどの国民は静かに自粛し、一定の効果は得られているでしょううが、各地で強盗や自粛警察もどきの犯罪が起き、治安は明らかに悪くなっています。

それでも私たちは、この国で生きていかなくてはなりません。安心できる安全な国を未来に残す必要があります。誇りを持って日本人だと言いたいではありませんか。

だとしたら、過去の災害の記憶を風化させてはいけません。体験を糧にして語り継ぐこと、そして真に災害に強いレジリアンス国家を作ることが必要です。
日本に行けばあらゆる方策が取られているから手本にしろと、海外からも視察に訪れるような国家としての産業を育成すればいいでしょう。

今迫りくる危機にどう対応し、乗り越えるのか。未来にどう伝えていくのか。日本の覚悟が問われているのです。