新型コロナウィルス〜世界を襲った未知の感染症
「想定外だった」──私たちはこれまで何度この言葉を聞いたでしょうか。震災でも、原発事故でも、風水害でも、ことが収束したのちに幾度となく繰り替えされた3文字。
正直、もう聞きたくないというのが誰しもの本音であるに違いありません。
新型コロナ感染症が巻き起こす混乱を“災害”と捉える人が多くはないためか、これまでの災害で幾度となく聞いた「想定外」の3文字は聞こえてはきません。
しかし、令和へという新たな時代を迎えた時、願った人は多いはず。「どうか、災害のない時代でありますように」「穏やかで平和な時代でありますように」と。
にもかかわらず今、日本のみならず世界中が新型コロナウィルスという脅威にさらされています。インバウンド景気にわく日本を突然襲いかかった未知の感染症は、紛れもなく災害です。
しかも、その信仰感染症は一見エボラのように凶悪なウィルスではありません。発症しづらいうえに、長い潜伏期間と強い感染力を持つ“ひどいインフルエンザ”のようなタチの悪いウィルス。それゆえ、政府にとってはまたしても想定外だったのでしょう。
初動のまずさに加えて、国民の反応を見ながら後追いのグダグダな対応で、日本はかつてないほど混乱をきわめています。
最大限の警戒心で打つべき手を迅速に。
想定外を想定内とするには、最大限の警戒心をもって、打つべき手を迅速に打つのが鉄則。未知のウィルスであれば、よけいにです。
特効薬もワクチンもまだない。後遺症さえわからない。わからないうちは、かからないほうがよいに決まっています。
災害広報でよく言われるのは、「空振りを恐れるな」ということ。
そう考えれば、手探りの状態で行われた最初の全国一斉休校については、それ自体悪くありませんでした。もちろん、感染者の出ていた学校だけを休校にすればよかったという意見が大勢ですが、
ただ、ビジネス目線ではイベント業界など「まだまだいける」という見方が多かった時期に、「全国一斉休校」の与えたインパクトは大きかった。「それほどの事態なら、うちのイベントも」と中止を決めた企業もあったと見ることもできます。
しかし、現実、日本は後手に回りすぎました。 入国制限は遅きに失し、緊急辞退宣言のタイミングもずれ込み、SNSからあがるのはもどかしさを通り越して激しい怒りの声ばかり。無理もありません。
災害医療では資源を大きく上回る需要が起きる
災害発生時点で最初に行うことは、徹底的な情報収集です。
それをもとに、先手を打ち、少しでもピークの山を抑える。ピークの山を低くキープしている間に医療体制をなるべく整える。時間稼ぎをする。未知の感染症を迎え打つセオリーです。
現に、着々と手を打っている国はあります。スピーディな封じ込めと強力な経済支援対策で感染者を激増させていない台湾。徹底的な検査と医療支援で自国ばかりか他国にまで手を差し伸べるドイツ。「もしも患者が〇万人になったら」重症患者、軽症患者を想定し、収容できる病院を建設。3月19日に全ての国からの入国を禁止し事実上鎖国したニュージーランド。他にも徹底した IT管理で感染者を把握した韓国。いずれも評価は高い。
対して、日本は? ……医療従事者から悲鳴があがっています。
各方面から「早く緊急事態宣言を」との声が上がり、日本医師会による「医療危機的状況宣言」も出され、それでも政府は「ギリギリ持ちこたえている状態」と繰り返しました。
→ 日本医師会が「医療危機的状況宣言」
災害医療では、もともとの医療資源だけでは、急激に増加する需要に応えることができません。需給バランスの崩壊が、そのまま医療崩壊につながるのです。
医療ガウンが足りない。マスクが足りない。フェイスシールドが足りない。
日本の対人口比で見る病床数も医師数も圧倒的に足りない。オーバーシュートという言葉や、感染者数の定義に関係なく、医療資源が圧倒的に不足している状態は、すでに限界だと誰でもわかります。
たとえば、集中治療用病床の数。人口10万人あたり、ドイツでは30床、イタリアでは12床、日本は5床。
病床不足を埋めようと、各自治体は奔走。
民間ホテルに協力を依頼して軽症患者用の宿泊施設にできたとしても、療養者の食事など含めた運営までを委託できるかどうかとなると、そこもまたネックになるでしょう。ホテルという施設を提供しても、従業員をリスクにさらせるのか?経営判断が問われます。
そうした一つ一つの判断や作業にかかる時間を養分としながら、新型コロナウイルスはがこの日本を蝕んでいきます。政策決定における小さなロスは積もり積もって膨大なものとなり、今こうしている間にも患者の体内でウイルスを増殖させてしまうのです。
本当に、一刻も早い手立てが望まれます。
こうした緊急事態で政治に当たることは、貧乏くじを引くようなものだと言われます。給与返還などせずとも、それに見合った働きであると国民の目に映るなら「出し渋り」の批判も起きないでしょう。
打つべき手を着々と打ち、自粛要請に応える国民の努力が報われてプラスの結果に現れるなら、「政府の言うとおりにしてよかった」と思えるでしょう。
しかし、現実は厳しい。日々報道される数字と、私たちの周りに起きている現実に大きな乖離があるだろうことを、誰もが気づいているからです。
最大限の警戒をせず、見せかけの「持ちこたえている状態」を主張し続けたツケはあまりにも大きいと言えるでしょう。